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『犀の角たち』

2010.01.29 *Fri

究極の真理へと到達するために精励努力し、
心、怯むことなく、行い、怠ることなく、
足取り堅固に、体力、智力を身につけて、
犀の角の如くただ独り歩め (スッタニパータ)


けしからん…まったくもってけしからん…けしからんおもしろさだー!(笑)
もう、素晴らしすぎてどうコメントしていいのかわかりません。
半分くらい読み進めても全然仏教の話が出てこず、物理と進化論と数学の話題のみという構成も素晴らしすぎる。
この構成にすごく意図を感じます。
それは、最初期仏教(超越者を持つ大乗仏教ではない)は科学と肩を並べることができ、どちらも同じベクトル(ただし対象分野は異なる)を持っている…という理論展開のためと思われます。(科学の人間化についての説明をきっちりしているので、余計スマートな理論として理解できます)

もう、どっからどうやって感想を書こう…。
あまりに素晴らしすぎるため、素敵な殿方を見た時みたいにドキドキしていて、うまくまとめることができません(笑)
真理の探究というのは本当にリアルにおもしろく、わくわくドキドキで、今風に言うと萌え萌えのとこもあって、新たな学説に出会ったり自分が構築した理論を他者の中に見つけた時、ほんとに素敵な殿方にぽ~っとなるようにぽ~っとなる時間があるのですが、そう感じる私はほんとどうかしてる……と思っていたのですが、本書に、

真理の発見ほどに素敵なことは他にない。大きいこと、小さいこと、スケールはいろいろ違っても、自分で真理を見つけるという行為は最高にエキサイティングなことであり、生まれてきてよかったと感じることのできる人生の生き甲斐である。

という文章を見つけたので、ちょっと勇気づけられました。
今まさにぽ~っとなっているので、とりあえずわけて書こうかな。ちょっと他の本みたいに、簡単に書評としてまとめるにはおしい気がします。

まず、仏教学という学問に関しては、日本はトップ(クラス←謙虚に)であるとされています。
私が行っていた通信制の大学のスクーリングでは、海外の尼僧をよく見かけたんですが、参禅しているお寺の住職さん曰く、彼らにとっては日本で学ぶことが一種のステータスである、とのことです。つまり、それだけのレベルであるということですね。
そういう状況にあって、科学の素養を多少なりとも持つ佐々木先生のような仏教学者さんが今後もっと出てきてほしいと思います。科学に対する正しい認識と評価を持つ人が、仏教との関連性を研究したりするのはものすごく有意義なことだと思われます。
あと、学問の世界ではすでにされていることだとは思いますが、もう少し一般のレベルまで、原始仏教に関する正しい知識と理解を広めることは必要です。皆さんあまりにも大乗仏教しか知らなさすぎです。

私が原始仏教に出会ったのは二十歳そこそこの時でしたが、あまりの素晴らしさに頭をガツンと殴られたような衝撃がありました。
本当に原始仏教というのは、知的で合理的でスマートで、所謂宗教とは一味もふた味も違った大変な存在でした。
私は、原始仏教とは一生の付き合いになる…という確信めいたものがすぐに起こりました。
なぜならば自分の中で常に大切な存在である科学と、こんなにも自然に共存できるものはそうそうないからです。

ここで注意しないといけないのは、佐々木先生も本書で仰っていますが、原始仏教と大乗仏教に優劣はつけることはできないということです。それぞれに理論体系と可能性と力があり、それは優劣ではないということです。

<つづく>
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『書物の敵』

2010.01.28 *Thu
この本の帯には、「愛書家必読!本へのオマージュ」と書いてありますが、全く持ってその通りです、はい。
本好きには、うん!うん!!その通り!!とうなづけることばかりがでてきます。

本書は、著者ウイリアム・ブレイズが、その当時の書物を悩ます環境(状況)や人を、「書物の敵」として描くことにより、書物への愛を高らかに宣言したものだと思います。
とはいいつつも、本を汚し、さらにはこの世から抹殺しようとする“敵達”には、けっして冗談ではない本気の“怒り”がこめられていて、読んでいてうなづけると共に、なんだかちょっと笑えてくるところがおもしろいです。
文章がユーモアに満ちていて、それでいて「書物」という存在そのものを崇高だと思っていない人間にしてみれば、「?」なくらいの本に対する姿勢が、なんともいじらしいというか、愛らしいというか、そういうところもおもしろい理由です。

たとえば、当時、書物にとっては大敵だった、書物を食う虫、「紙魚」を、なんと観察するために飼ってしまう(!!!!)と言った行動、また紙魚が、どのようにして書物を食い荒らすのかを書物に残る痕跡から推測し、細かに記録しちゃうところ、本好きじゃない人にとってはもはや正気の沙汰とは思えない行動ですが、私はかなり共感を覚えました。
この紙魚、なんと表紙にも描かれている上に、なんとも細かい精密画でイラストが登場するので、虫嫌いな私はちょっと怖かったです。
著者がどれほどのユーモアのセンス、文章を書く才能を持っていたのかを証明するために、本文から引用したいと思います。

「(略)餌として三種類の古紙を精選して一緒に箱の中に入れ、あまり煩わせないようにしたのだけれども、どうやら幽閉の憂き身にご立腹だった模様で、餌もあまり食べなければほとんど動きもせず、死ぬ頃になっても体の形状すらたいして変わってくれなかった。ギリシア生まれでヘブライ語の知識を身体に詰め込んだこの虫は、私が今までに見たことのある虫とは様々な点で異なっている。(中略)ずいぶんとしぶとく生きながらえたのだが、成体になるのを心待ちにしていた飼い主に「深く悼まれつつ」この世を去った。」

また、製本をして書物を哀れな状態へ追いやる製本屋に対しては、

「『神曲』の「地獄篇」でダンテは数々の死者たちに対し、その過去の罪によくみあった様々な責め苦を与えている。私は今まで、製本屋がその手に託された貴重な書物の汚れない紙面を手荒に扱い、その威厳や美観や価値を根こそぎ奪うのを目にしてきたが、もし私がこのけしからぬ者どもを裁かねばならないとしたら、こうして非情にも削り落とされた紙面を集めてきて燃やし、この無道な輩を弱火でゆっくりあぶってやることだろう。」

ユーモラスたっぷりには描かれているが、ウイリアムさん、本気度80%だと思います(笑)また、本好きじゃない人には理解し難いかもしれませんが、私も激しく同意します(笑)

本書は、書物を悩ますあらゆる敵、たとえば火や水やガス、はたまた人間まで、ありとあらゆる敵を列挙していますが、もちろん現代とは事情が違うので、現代ではあまり気にしなくていい敵もでてきます。
逆に、現代になって浮上してきた“敵”もいますよね。
昔の敵に想いをはせつつ、今の敵を考えるのも楽しいかもしれません。
すべての本好きにおすすめしたい作品です。

■■■
以上、2004年12月13日の記事に加筆修正

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『神は妄想である』

2010.01.27 *Wed
数年前、本書を書店で見た時は、「きゃはっ!ついにドーキンスは書きよったわい!」と思ったものです。
ドーキンス博士の本にはちょいちょい宗教に対する痛烈な批判と皮肉が書かれているので、いつかこんな本を出すんではないかと皆思っていたはず。
発売直後に即行購入&即行読了しましたが、今回久しぶりに読み返してみました。500ページ以上ありますがおもしろくて一気に読めます。
個人的には、本書は人生において一度は読んでほしい…というか、読んで!つべこべ言わず読んでみて!と言いたくなる数少ない書物のうちの1冊です。(といっても2500円しますし、“考える人”限定ですが)

ドーキング博士は進化論で有名な科学者ですが、その著作は啓蒙書としても大変良質なものだと思います。
なので私は、ドーキンス博士の新作はホーキング博士の新作と同様必ず買うようにしています。

本書を読むと、アメリカをはじめ世界における無神論者の大変な実情をひしひしと感じます。
だからこそドーキンスは書かずにはいられなかったのでしょう。

「人間社会においては宗教に対し、常軌を逸した過剰なまでの敬意が払われている」

例として数年前に起こったデンマークの新聞での預言者ムハンマド風刺漫画事件が取り上げられています。
私たち先進国の人間は言論の自由を持ち、実際宗教以外の様々なことについては自由に批判ができますが、宗教についてちょっとした風刺をしただけで死体の山ができる可能性があります。デンマークのこの事件では、何の関係もないキリスト教会が焼かれたりキリスト教徒が殺されたそうです。
なぜ宗教だけが別格扱いなのか。なぜ宗教を尊重することが人の命よりも上だという風潮がまかり通るのか。

ドーキング博士はきっぱりと宣言します。
私は要らぬ侮辱をするつもりはないが、宗教を扱うのに、ほかの事柄よりも手控えた扱いをして甘やかすつもりはない。


『旧約聖書』の神は、おそらくまちがいなく、あらゆるフィクションのなかでももっとも不愉快な登場人物である。嫉妬深くて、そのことを自慢している。けちくさく、不当で、容赦のない支配魔。執念深く、血に飢え、民族浄化をおこなった人間。女性嫌い、ホモ嫌い、人種差別主義者、幼児殺し、大虐殺者、実子殺し、悪疫を引き起こし、誇大妄想で、サドマゾ趣味で、気まぐれな悪さをするいじめっ子だ。

全文同意。多くの日本人は聖書を読まずに一生を過ごしますが、もし残虐な小説を読みたくなったら旧約聖書を開いてみることをおすすめします。詩編などの一部の美しい文章でちょっとした錯覚を起こしそうですが、その陰に潜む神の気まぐれな残虐性は、とてもまともな神経では受け止めることができません。

ところで旧約聖書もすごいですが、私はクルアーン(コーラン)の天国描写も吐き気がするほど嫌いです。
父性的一神教ってほんと処女が好きですよね。
私はそんな天国行きたくねーーーーーー!!!というか、相手をさせられる処女の人権とか無視ですか!永遠に汚れない処女という描写があるので、その処女の方々は、何回も永遠に痛い目にあわないといけないという。
イスラームはなぜにそんなに男性の性欲に対しておおらかなのか、逆に女性に対して異常なまでの貞淑さを求めるのか。
書いてるだけで不愉快になってきましたからこの辺でやめます。
ああそうそう、こういう描写があると、必ず「それは比喩である。それは文字通り受け取ってはならない。もっと深い意味がある」などという話をあちらこちらで聞くことになりますが、「文字通り受け取る箇所と比喩の箇所は誰がどうやって判断するんですか?」と言いたい。

われわれの文化の中心にあって、口に出すのがはばかられる最大の悪が一神教である。『旧約聖書』と呼ばれる野蛮な青銅器時代の経典から、三つの非人道的な宗教が進化してきた――ユダヤ教、キリスト教、イスラム教である。これらは天空神をもつ宗教である。文字通り家父長的――神は全能の父――であるため、この天空神と現世におけるその代理人である男に苦しめられた国国では、二〇〇〇年にわたって女性蔑視がつづいている。(ゴア・ヴィダル)

ドーキング博士は一神教の文化の中で生活していますから、どうしても一神教に対する嫌悪が激しくなります。実際、嫌悪を抱かせる要因(宗教そのものが持つ要因、宗教を信じる人間が持つ要因)がたくさんありますし。
もし、宗教が人々の心を向上させ、あらゆる犯罪を抑制しているならば、それがたとえ嘘っぱちでも誰も非難はしませんが、犯罪の抑制どころか、宗教が原因或いは宗教を使った血みどろの事件は後を絶ちません。

ドーキング博士は、現代社会でよく言われる、「宗教が原因ではなくてそれは民族紛争である」という言い分をバッサリ切り捨てます。なぜならば、あきらかに宗教の違いが戦う両者をきっぱり2つにわかているからです。

よく、「それは宗教が原因ではなくて、元々その地域にあった悪い伝統が原因です」という言い分を聞きますが、百歩譲ってその言い分を正しいと仮定しても、数百年単位でその悪い伝統を抑制できない宗教っていったい何なんでしょう。
逆に、なにかよい話があると、「それは○○教が素晴らしいからです」という言い分はいったい何なんでしょう。
悪いことは伝統や風習のせいにし、よいことは宗教のおかげという。
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『慈経』

2010.01.18 *Mon
上座部であれ大乗仏教であれ、仏道を歩む者が、慈悲を知らずして一体何を知る。慈悲を実践せずに何を実践する。
…と個人的には思います。
上座部の『慈悲の瞑想』は大好きですが、この本に出てくるパーリ語のお経は、ぜひ覚えたい。(覚えるんだ~!私!)
私が好きなスッタニパータのあの部分が含まれているからです。

いかなる生物生類であっても、怯えているものでも強剛なものでも、悉く、長いものでも、大きなものでも、中くらいのものでも、短いものでも、微細なものでも、粗大なものでも、目に見えるものでも、見えないものでも、遠くに住むものでも、近くに住むものでも、すでに生まれたものでも、これから生まれようと欲するものでも、一切の生きとし生けるものは、幸せであれ。


上座部では、挨拶として「生きとし生けるものは幸せでありますように」という言葉をよく口にしますが、とても美しい挨拶だと思います。私はこれ以上の美しい言葉を他に知りません。ここには一切の差別はありません。「○○を信じなければ地獄行き」などという思想の入る余地はありません。

本書は、パーリ語の単語、その意味なども掲載されているので、大変勉強になります。
日本人にとってパーリ語は馴染みのないものですが、なんとパーリ語のお経のCDがついているので覚えやすいです。
ついでに慈悲の瞑想の解説も音声化されています。

スマナサーラ長老の解説もおもしろいです。
日本人はとにかく現世利益を求めて神社やお寺で願い事をします。
長老は、その神様たちがいるかどうかはわからないけれど、逆にその神様たちの幸せを願ってみたらどう?と仰います。なんかおもしろい(笑)神様にお願いをするんじゃなくて、神様の幸せを願ってみる。なんかちょっと素敵(笑)

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『食う寝る坐る 永平寺修行記』

2010.01.10 *Sun
私は、こんなにも恐ろしいホラー小説(正しくはエッセイ)を読んだことがなかった!!
と思うほど恐かった…ほんとに恐かった…。
まさか、修行に関する本でこんなに恐怖を味わうとは(汗)

普通、修行僧と言えば清廉で美しく、静かな佇まいを想像すると思いますが、永平寺の僧堂の雲水さんたちは違いました。
そこでは…平手打ち・拳骨などまさしく殴る蹴るの暴力による制裁が!!!
今時ヤクザや暴走族だってそこまでの日常的な暴力はないでしょうに。
永平寺の生活に比べたら、刑務所なんて貴族のような生活に思えます(笑)
少なくとも刑務所ではそんな暴力は受けないでしょうし。
もう私は、内容のあまりの凄惨さに涙が出そうでした。
この本では感動的な内容もあるんですが、感動5%・恐怖95%でした。
人間の美しさとともに、醜さや弱さもこれでもかと書かれています。

先に書いた『坊主DAYS』やその他の修行記、ドラマなどを見てきましたが、よく考えると全部臨済宗でした。
臨済宗と曹洞宗、同じ禅宗ですが似て非なるもの。
僧堂の生活も微妙に違うのかな?と思いましたが、ま、まてよ…臨済宗の僧侶の方から、僧堂でのいじめ、暴力、体罰についてちらっと聞いたことを思い出しました。
もしや臨済宗の僧堂でも同じようなことがあるけど、あえて本には書かないのか!?
それとも、曹洞宗でも僧堂によって厳しさに差があるように、臨済宗も差があるのか?
その辺のところはよくわかりませんが、とにかく一般人には想像を絶する僧堂の生活です。

こういった生活は理屈を超えたところにあるのでしょうし、一般人の常識の枠組みの中で考えることは不可能。
「それって中道の精神に反するんじゃ…むしろ極端をいっているような…」
と思わなくもないですが、そんな思いはこの圧倒的世界を前にすれば露となり消えてしまいました。
とにかくすごすぎる!!
大切に大切に育てられてきた私たちの世代にとって、ほんの些細な失敗で平手打ちなんてまるで別世界です。
僧侶が無抵抗の人間のお腹を蹴るなんて想像つきますか?

参禅しているお寺の住職さまは永平寺で修行なさいましたが、もう尊敬しまくりです。
たとえ数年間でも、この世界を乗り越えてこられたと思うだけで畏敬の念が…!
きっと次の坐禅会で住職さまを見る私の目は変わっているはず…いや、今までも尊敬していたんですよ!(笑)
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プロフィール

月子

名前:月子
本の感想等を書いてます。
好奇心旺盛なので、興味がわくとあっちゃこっちゃの扉を叩きます。でも、熱しやすく冷めやすいかも(汗)

●引用文には下線_か囲み線□をつけています。
●書物に関する記事は、旧ブログからのサルベージもあります。



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